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”ネオの会”公式ブログ neonokai.com

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歯科医療のあり方を考える会をスタートしたのだが...!?!?

ごめんね。キャメロン。_d0148130_2195621.jpg

本当に心から、お詫びを申し上げたいと思う。
誰にか?

ジェームズ・キャメロン監督にである。

アバターのレビューをネットで見てみると...

『結局白人至上主義、金儲け主義は間違いと言いたかった映画なの?
要はインディアンと騎兵隊の戦いを脚色しただけで特撮を観てくださいって映画ですね。』

と言うような内容のレビューが、ま、1件や2件では無かった。
で、ふうん、ま、その程度の映画でしょ。

と俺も思っていた。それに対してお詫びを申し上げたいのだ。

つまり、とても素晴らしい映画であったと
責任を持って、ここに宣言する。

観ていない人に大まかな説明をすると、
地球人が、ある惑星の鉱物資源をゲットするために
現住民族を植民地化(奴隷化)しようとするが、現住民族は抵抗し、
そればかりでなく、文化もそれなりに素晴らしいぞと
そういう映画であったかと思う。(ザックリ言った。)

原住民からすると、地球人はエイリアンであって
地球人からすると、原住民は未開人であった。

地球人である主人公は言った。
「人間はいつも同じだ!
目的の邪魔になるヤツは敵と見なし、力ずくで奪う。」
ん?
このセリフの、『人間は』を『アメリカは』
に置き換えてみると、ちょっとしたカミングアウトだ。

映画の中で、青い肌をしている原住民のことを、「ブルーモンキー」と呼んでいた。
ブルーモンキー??なんか思い出した。

ああ、確かあいつらは、我々のことを
「イエローモンキー」と呼んでいたな。

映画の中で、「ゴキブリは焼き殺す。」と、原住民のことを害虫呼ばわりしていた。

映画の中で、地球人が原住民を攻めるとき、ガス弾で攻撃している時おもった。

そんなまどろっこしいことせず、大量殺戮兵器でドカンといったらんかい!

そう、ヒロシマ・ナガサキのようにな!!!

ジェイムズキャメロン、このような素晴らしい映画を撮ってくれて本当にありがとう。
感動しました。

しかし

君の国籍が”USA”であったことは
俺にも、救いようがないわ。本当にごめんな。(^o^)
ごめんね。キャメロン。_d0148130_21471211.gif

# by jantaguesthouse | 2010-05-17 21:38
あの日はいつまでも忘れません。_d0148130_1915944.jpg


僕が高校3年生、18の時。お正月もあけて1月7日。
大学へ進学しようか、それとも放浪の旅に出るか?ほんの少し迷っていた
ちょうどそのとき。

NHK教育テレビ以外は、ずっと皇居を映していた。

俺は友達の家で、映画「ダイ・ハード」についてや
ロックの歴史について夢中で話していた。

その日、裕仁天皇は崩御された。

上の写真は、マッカーサーと昭和天皇を写した写真。
初めて見たのは、小学校の社会科教科書だった。

小学校の先生から、「この写真で日本人は、敗戦を思い知った。」
「堂々たるマッカーサーに比べて、この天皇の臆病そうな顔は印象的やね〜!」
と、聞かされ「なるほど〜っ」とは思わなかった。

『むっちゃヒダリの日教組カエレ!』って言ったら、先生が青ざめた。
おれって、小学生の時からオチャメで有名だった。

「あの日はいつまでも忘れません。」
で、始まる有名なインタビューがあるので、ぜひご覧頂きたい。
マッカーサー元帥のもと通訳官、ハワーズ氏のインタビューである。
You Tube動画(1:08)



最近、小林よしのりの『昭和天皇論』を読んで、よしりんの最高傑作じゃないかと
思って、この投稿をしています。

一番上の、例の写真を見て
確かに、当時の日本人に決定的な屈辱感を与えた写真だとは、本当に思う。

しかし当時、同じ写真を見て、まったく違う感想を持った人達がいたという。

栃木の奥日光に疎開されていた皇太子(今上天皇)とその御学友たちは、
その写真を見て口々に叫んだという。

「日本が勝った!」
「マッカーサーは、ネクタイもしないで礼儀を知らない。」
「成り上がりの田舎っぺ!」
「やはりアメリカはあの程度か!」
「日本は礼節の国であるぞ!」

マッカーサーは、裕仁天皇の人格を目の当たりにして
感動したと言うが、じつは「圧倒」されたのだと思う。

会見が終わって、堂々と去っていこうとする昭和天皇に
「すんません、人間としてのウツワが違いすぎました。」
という、M元帥の声が聞こえてくるかのようである。

平成22年5月16日(日)
あの日はいつまでも忘れません。_d0148130_1933855.jpg

# by jantaguesthouse | 2010-05-16 19:06
今日(平成22年5月13日)の事を言う。

しかし今日は歯科臨床のことを述べないし、基地問題についても書かない。
もちろん、いまの日米安保のことについては話したくもない。

結論から言う。

時代は、リコとネコであると。

何の事かわからない人が多いと思うので、もう少し解りやすく言いたいと思う。
まず「リコ」から。

先週、映画を観に行った。「武士道シックスティーン」という映画。
映画の説明はしない。
とにかく、すごく感動した。嗚咽をあげて号泣した。

その主演の女の子が、成海璃子という女優で
むっちゃかわいいから、「書道ガールズ」も観に行こうと思っている。

それが「リコ」。↓
リコとネコ_d0148130_22182248.jpg














次に「ネコ」。

正直言うと、5月3日からネコを飼っている。
かわいくてしょうがない。

だから「ネコ」。↓
リコとネコ_d0148130_22212730.jpg













猫を飼うにあたって、ペットショップに赴き
アメショー(アメリカンショートヘア)とか
スコショー(スコティッシュショートヘア)も考えた。

しかし、結局うちに来てくれたのは
NPO法人”ライフボート”
http://www.lifeboatjapan.org/

保健所に処分依頼された猫の命を救うために、里親を募集している団体から里親の許可を得て、

(結構面接が厳しかった。)
本当に、ご縁があって我が家に来てくれた、ノラ出身の雑種・キジトラ君だ。(俺がつけた名前)

だから、繰り返しになるがもう一度言うと
いま、時代は、「リコ」と「ネコ」。

次の投稿では、ぼくはふざけたことを書かない。
いやいや、今回の投稿も1ミクロンすらふざけては書いていない。

大切なことを書いた。
# by jantaguesthouse | 2010-05-13 22:34
バランス感覚について_d0148130_2122523.jpg

8年前のこと。

尊敬する歯科医師(医療者としても経営者としても)の先輩に言われたことがある。
褒められ、かつ叱咤を頂いたのだ。

「お前はな、知識も技術もあるねん。でも、決定的に足りひんことがあんねん。
それはな、バランス感覚やねん。」

.....。
それって、た、確かに決定的なことやな〜って思ったし、考えたことだったが、
結局今も、俺にはバランス感覚は無い。

で、ちょっと気になった論語の言葉があるので引用させて頂く。

葉公(しょうこう)孔子に語げて(つげて)曰く、吾が(わが)党に直きゅうなる者有り。
其の父羊をぬすみて、子之を証せり、と。
孔子曰く、吾が党の直(ちょく)なる者は、是に異なり。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。
直は其の中に在り、と。

意味は、

葉殿と言う人が、孔子にこう言った。
「私の故郷には、それはもう真っ直ぐな人物がおりまして。
父親が羊を盗んだ時も、その子は父が盗んだに相違ありません。と証言したんです!」

孔子はこう言った。
「わたしの故郷の真っ直ぐなものは、それとちょっと違います。
(仮に盗みがあったとしても)父は子の悪事を隠し、子は父の悪事を隠します。
『直』(まっすぐ)の真の意味はそこにあります。」
と。

俺は、すべてに於いて公平であろうと心掛けている。
でも、本当の意味での公平など、ありはしない。

もちろん、実践は出来ていない。

葉殿の故郷にいるような正直者も、おれは素晴らしいと思っている。
しかし、孔子の言うような身内をかばう気持ちもよくわかるつもりだ。

要は、「バランス感覚」なんだと思う。

今日また、「公平でない」ことに関して院長にキレた。
それはもう、ブチギレした。スタッフもドンビキしていた。

で、帰りにコンビニによったら
"一個人"という雑誌の特集が
『論語の言葉』というもので
久しぶりに論語に戻った。

すると、むかし先輩に言われた言葉が
ふと、よみがえった。
# by jantaguesthouse | 2010-04-28 21:03

先月、3月の27日に帰阪した。(一ヶ月前。)
帰阪というのは「大阪に帰る」という意味で、大阪人のみが用いることが出来る。
僕は京都生まれの京都育ちだが、7年ほど大阪で暮らしていたから
「帰阪する」という言葉を用いることが出来る。

帰阪したきっかけは、丸山剛郎・大阪大学名誉教授の70歳を祝う会に出席するためだった。

同月の初旬、お母ちゃんに不幸があったので、祝い事の席に行くか行くまいか非常に迷った。

が、お母ちゃんと丸山先生が同じ年齢であることや、偶然とは思えない何かを感じたので
行ってきた。

やはり、相も変わらず、キザでカッコいい丸山先生であった。
で、僕が丸山先生に対し必死に何かを語りかけていて
丸山先生が真剣に対応して下さっている写真を見て
よく考えてみた。

なんせ、歯科医師になって初めてその"志"をたるや持たせて頂いた張本人の先生だ。
規範と帰阪_d0148130_21353432.jpg

しかし、何を必死に語っていたのか
酔っぱらっていて、まったく記憶にない。
丸山先生、ごめんなさい。

70歳のパーティー、素晴らしかったです。

これからも、歯科医師1年目の頃のように
きびしく、かつボロカスに
ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

翌日、"ネオの会"筆頭理事の後輩と打ち合わせをした。
なにげにオフィシャルTシャツを着てくれていた、池田市開業の0先生ありがとう。
そんなことが、なにげにとっても嬉しかって、

帰阪してとてもよかったと思った。

規範と帰阪_d0148130_21382465.jpg

# by jantaguesthouse | 2010-04-27 21:34

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