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”ネオの会”公式ブログ neonokai.com

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歯科医療のあり方を考える会をスタートしたのだが...!?!?

ネオの会は、もとより窮す。

今からおよそ2560年前、当時の中国でのこと。

陳蔡之厄(ちんさいのやく)という事件が当時の中国でおこりました。

いまで言うところの、国家紛争です。(簡単に言うと戦争。)

そのあおりを食らった孔子一行は、身動きがとれず、食物も尽きて七日間飲まず食わずの
状況に陥りました。飢餓で立つことも出来なかったといいます。

絶体絶命です。集団は『死』を意識したに違いありません。

そんな危機的な状況に陥っても、いつもと変わらな風で、打開の道を探しているとも見えない
ノホホンとした孔子に対して、弟子の子路(孔子の一番弟子)が、質問しました。

加地伸行先生訳の「論語」には、子路は孔子に食ってかかった。と書いてあります。
当然でしょう。いくら何でもひどすぎる。
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 「君子でも窮することがあるのですか?」

君子とは、ここでは『完成された人間』と思ってください。

完璧に完成された人間(君子)でも、この絶体絶命の状況においては追い詰められるのですか?
と聞いた。

すると、孔子は

『君子もとより窮(きゅう)す、小人窮すればここに濫(みだ)る』

と答えました。

『君子といえども窮することはある。
君子であればこそ窮する場合さえある。』

『だが君子は、窮しても平静な自分を守る。
小人(未熟な人間)は窮すれば自暴自棄となってしまう。』

『君子と小人に差があるとすれば、ただこれだけだ。』

おそらく孔子は質問した子路だけではなく、周囲にいる多くの弟子達に向かって
この言葉を発したのだと思われます。

お前達は君子たろうとして私の元に集まってきたのだろう?

危機に臨んでも動じない孔子の姿をあらためて認め、弟子達の動揺は収まった。
そして師弟が団結してこの危機を乗り越えてゆきます。

平穏な時には君子も小人も同じように見えますが、危機に直面したとき、
その違いが現れる。

そんな論語の一場面を思い出したので、今回投稿しました。
僕の解釈をすこし。

君子、もとより窮す。
これを『君子でも窮する場合がある。』
と、ほぼすべての訳本には書いてあります。

しかし孔子は、顔にも態度にも出すことはなかったけれども
君子であるからこそ、いっつも窮しておられたのではないかと僕は解釈しています。

7日間、飢餓状態にあった状況においても、
弟子達と楽しく談笑される時でも、僕はいつも孔子は

最善の道を探しておられた、窮しておられたと考えています。
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by jantaguesthouse | 2010-06-10 08:58

by jantaguesthouse